吾亦紅 8



久々の町だった。

いつの間にか少しずつ秋がやって来ていて、日差しはまだきついものの風はすっかり冷たくなっている。

道ばたに、深紅色の小さな花をたくさんつけた草が揺れている。

指の先ほどの丸い塊で近くに寄らなければ花だとは気がつかないかもしれない。

紅、と言うには地味すぎるその花が、吾亦紅と言う名だと教えてくれたのは、祖母だった。

「ばあちゃん、ばあちゃん、おやつは?」

「おや、慎ちゃん。おかえり。そこに置いてあるよ。玲ちゃんと仲良くわけてお食べ。」

小学校時代、夏休みには田舎に住む祖母の家へ泊まりにいくのが常だった。

古い民家で、広縁から座敷へ上がり廊下を渡って土間へと抜けると内井戸があってスイカが冷やしてあったりしたものだ。

水ようかんを食べながら、花を生ける祖母の手元を見るともなしに見ていた。

「ばあちゃん、なんでそんな雑草を生けるんだ?」

茶色い小さな花が密集して指の先ほどの塊になっている地味な花で、庭にたくさん咲いていた。床の間に飾るのなら、もっと派手な花にすればいいのに。

そう言うと、祖母は笑って

「この花にもこの花の良さがあるんだよ。見た目は地味でも、お薬にもなるすごい花なんだから。」

「へぇ。そうなんだ。」

「なんでも外見だけでは、その価値ってもんはわからないんだから、簡単に決めつけちゃいけないよ。」

「ふぅん。」

「この花はね、ワレモコウって言うの。」

「ワレモコウ?」

「そう。漢字では吾亦紅って書くのよ。」

言いながら祖母はそれを紙に書いてくれた。

「吾(われ)も亦(また)紅(くれない)なり、って意味なんだよ。」

「?」

「私だって赤いんだよ、って意味だね。地味だけどちゃんと紅の心意気を持っているってことさ。」

そう言うと祖母は遠い眼をした。

そのときにはそれがどんな意味なのかよく判らなかったけれど、その花の名とそのときの祖母の顔はずっと忘れられなかった。


われもまた くれないなりと ひそやかに


高浜虚子の句を知ったのは中学時代だったと思う。

小さくても地味でも紅なりとの自負を持って生きていくこと。

ちっぽけでも、男のけじめを、矜持を持つこと。

表層的な部分だけで物事を判断しないこと。

そんな生き方をしたいと願うようになったのは、祖母にこの花のことを教えてもらったからと言うもあるのだと思う。

久しぶりに見たその花に今の自分を重ねて、俺はざっと紅い髪を撫で上げた。

吾も亦紅なり。

そうだよな、俺はまだガキだけど、守りたいものがあるんだ。

これは俺の男の矜持。男の意地だ。

お前には悪いけど、立て通させてもらうよ・・・


繁華街に差し掛かってしばらくすると、すぐに騒ぎに行き当たった。

見物人にまぎれてそっと様子を伺う。

思った通り、騒ぎの中心にいたのは久美子だった。白金の学生服を着たひ弱そうなのと、それにぴたっとくっ付いている女子高生。ふたりを後ろ手にかばって、不良高校生5人と対峙している。出るまでもないと見物していると、たちまち決着がついた。

舞のような華麗な動き、素早い反応、的確な打撃。

相変わらずの、いやますますキレが良くなって凄みを増したその技に俺は見蕩れていた。

すごい女に惚れ込んだものだ。

外見は全くぱっとしないのに、内側に秘めた本性は紅蓮のごとく鮮やかで美しい。

俺のささやかな矜持なんて足元にも及ばない、本物の紅・・・

一生をかける価値があるってもんだな。


そんな風に、夕方、町を歩いていると京さん曰く「すげー荒れている」久美子をいつも簡単に見つけることが出来て、俺はそれを陰ながら見守るのが日課のようになってしまっていた。

その日も俺は喧嘩をしている久美子を、遠巻きにしている観衆の隙間から見物していた。

幾分やつれが見えるものの、久美子の技のキレは相変わらずで、バイクに乗って向かってくるガキどもを一蹴りで撃退していた。3台のバイクが地面に転がったところでパトカーが到着し、ひっくり返っている仲間を見捨てて残りは逃げた。

久美子はざっと事情聴取を受けた後、ひとりで家へと引き返し始めた。

俺はなんとはなしに不安になってその後をついていった。

道の両脇から不穏な気配が立ち上っている。

暗がりに誰かが潜んでいるのだ。

予感が的中したなと思いながら人通りのない暗い道を辿っていると、横道から突然バイクが襲い掛かって来た。

久美子もとっくに気がついていたと見えて、冷静にバイクを避けると反撃に出た。

大きく飛び上がってハイキックを決め、タンデムの後ろの奴が振り上げていた鉄パイプを掴んでぐいっと引くと、あっという間にふたりが戦闘不能になった。もう一台が俺の横から出て行こうとしたから、そいつは俺が片付ける。

久美子は先ほどのふたりを積み上げると、パンパンと手をはたいて道路を横切ろうとした。

その時、ヘッドライトを消したままの自動車が久美子に向かって突っ込んで来た。

路地の暗がりに停車して今まで出番を待っていたのだ。

「久美子っ!!危なーいっ!!」

咄嗟に飛び出して体当たりし自動車の進行方向から久美子を退かせるのが精一杯だった。

ブレーキを踏まずに突っ込んで来た車にはねられて、自分の身体が宙を舞い、ついで地面に叩き付けられるのを、俺は他人事のように眺めていた。

「慎!?しーん!!」




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2009.8.14

双極子