ドラマ・卒業後、アフリカから帰ってきました。お付き合いしてないけど仲良しのふたり。



中秋の名月



河原は一面のすすき野原だった。

見渡す限り、どこまでも尾花が揺れている。


「うっわー!きれいだなー!」


山口久美子は感激して大声を上げてはしゃいでいる。夕日に照らされたその横顔を沢田慎は眩しげに見つめていた。


「な?俺の言った通りだっただろ」


慎は幾分得意げに言った。月見だ団子だと浮かれている久美子をこの風景を口実に誘い出したのは慎なのだ。ここは神山から少し離れた河原だ。久美子がよく生徒を連れて缶蹴りに来る場所よりもやや上流だから、こんな場所があることを久美子は始めて知ったらしい。


「ほんとにすごい。あ、あっちにもあるぞ!」


「おい、気をつけろよ」


土手を駆け下りて、流れの近くにあるこんもりとした繁みに近寄る久美子に、慎は声をかけた。


「大丈夫だって。ほら、沢田も来いよ!」


「はいはい」


そう言って足を向けたときだった。


「いったぁ・・・」


久美子の小さな悲鳴が上がって、慎は慌てて駆けつけた。


「どうした、大丈夫か?」


久美子はすすきの前でしゃがみ込んで手を押さえている。


「ちょっと一本拝借しようとしたら切っちゃって」


「どれ、見せてみろ」


慎は躊躇いもなく久美子の手を取ると傷口を探した。右手の小指の付け根に小さな傷があって、血がぷつぷつと小さな塊となって出はじめている。傷口の周りに汚れがついているのに気が付いて、慎がいきなりぺろりとなめた。


「な、な、なにするんだっ。放せ、沢田っ」


「いいからじっとしてろ」


目の前にまるでかしずくように膝を付いて、唇を自分の手に寄せている慎が上目遣いで久美子を見る。その視線にどきりとした。見ていられなくてつい眼を逸らしてしまった。


柔らかくて温かい舌は傷口の周りを何往復かすると離れていき、代わりに乾いた布が濡れてしまった肌を綺麗に拭いた。


そこでやっと慎を見ると、ハンカチを出して斜めに畳み、細長くしたそれを久美子の傷口にあててくるくると縛っている。


「はい、応急手当おしまい。しばらく経ったら血も止まると思うけど、家に帰ったら傷口をよく洗って清潔にしとけよ」


「・・・ありがと」


手際の良さに目を丸くしていると、それに気が付いた慎がにっこり笑った。衒いも気負いも感じさせない、気持ちのいい笑顔だった。見蕩れているうちにいつの間にか反対側の手をしっかりと握られていた。


「あっちの方に行ってみようぜ。そろそろ日が沈むから」


「ん?」


わからないながらもあまりの自然さにそのまま従ってしまった。手を繋いで歩いていることも意識しないくらいだった。慎は日が暮れて暗くなる前に足元のしっかりした場所に移動したかったのだ。ついでに街灯がなく開けている場所。もう目星は付けてあったので迷うことなく無く歩を進める。握った掌が熱かった。ずっと片思いをしている相手なのだ。


ふたりが足を止めたとき、あたりは夕闇に包まれていた。


「ほら、見てみろよ」


「うわぁ・・・」


久美子は息を呑んだ。

一面のすすき野原の上に見たこともないくらい大きな満月がかかっていた。


「綺麗だろ」


中秋の名月の今宵、ここが一番の鑑賞スポットだと知ってぜひ久美子と一緒に見たかったのだ。かろうじて残っている茜色の空を背景に、真白な月が輝いている。手前の尾花の薮が風でざわめいてこんもりと暗い。


慎は風景に見入っている久美子の横顔を眺めた。好奇心に目をきらきら輝かせて、夢中になって見ている。こんな姿が本当に好きだった。


「なぁ沢田、ありがとな。あたし、こんなに見事な坊主、初めて見た」


「は?坊主?って何それ」


「知らないのか、八月の二十点札だ。九月の十点と合わせると月見て一杯って言って役になるんだぞ。雨の二十点札が手元にあると流れるから気を付けないといけないんだ!」


「・・・もしかして花札の話かよ」


「そう!だってそっくりじゃないか」


「そりゃま、そうだけど・・・」


せっかく薄暗がりでふたりきり、美しい風景を前にして男女が手を繋いで寄り添っていると言うのに・・・慎はため息を飲み込んで空を見た。


茜色がようやく薄紺に変わりはじめた夕空、黒くざわめくすすき野原、ぽっかりと浮かんだ月。久美子の言う通り、絵に描いたような光景だった。ぐっと胸に迫る衝動のまま、引きよせようとした久美子の肩は思ったところにはなかった。


いつのまにか久美子が屈み込んでいたのだ。


「お祖父ちゃんに持って帰りたいなぁ」


それでさっきは無理して手折ろうとしたのか。こう言うところが可愛いなと微笑ましくなりながら、慎は久美子のそばに屈み込んだ。そしてポケットから用意してきた小さな剪定ばさみを出して数本の尾花を切ってやった。


「おお、さっすが沢田!気が効くじゃあないか。これで家に帰って月見酒だ」


お前も来るだろ?とにっこり笑われて慎が断ろうはずもない。

ふたり並んで神山の家への道を辿る。


登ったばかりの月に、ふたりの影が長く長く伸びて重なっていた。




2013.10.4

双極子